どれほど公正に評価しようと心がけても、人は無意識にある傾向に陥りやすい特性を持っています。これを心理的偏向と呼んでいます。その是正のためには、評価者である上司が、この心理的偏向のメカニズムをしっかり理解しておくことが大切です。
心理的偏向は大きく分けると7つに分類されます。人が人を"評価をする"ということに対する責任の重さを十分に認識し、心理的偏向に陥らないように強く意識することが重要です。
しかし、それ以上に、会社全体で人事考課の基準や心理的偏向に関する共通認識を持つことが大事になるのです。
ハローとは"後光"を意味します。「後光が差す」という意味の後光です。ハロー効果とは、何かある特定項目で際立っているような場合、他の評価項目にも影響することです。
ハロー効果には、「あばたもえくぼ」のようなプラスに働く影響と「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」のようなマイナスに働く影響があります。
たとえば、プラス影響の場合、超難関大学を卒業しているから学力だけでなく人格も優れているとか、囲碁・将棋が有段者であるから頭がいいとか、インターハイの出場経験があるから目標に対する達成意欲が高いなどと勝手に思い込んでしまうことです。 その反対のマイナス影響の場合、太っているから自己管理能力が低いとか、高校を中退しているから辛抱できないタイプだなど偏見をもって決めつけることです。
「中心化傾向」とも呼ばれます。評価者が「きわめて良い」「きわめて悪い」といった極端な評価を避けようとして、評価を真中に集めてしまう傾向があることを意味します。
五段階評価(5.4.3.2.1)であれば、そのほとんどを「3」ばかりつけてしまうのは中央化傾向の典型例といえるでしょう。平均値「3」で評価しておけば、部下などの対象者からクレームをつけられる事はないだろうという「事なかれ主義」や「観察不足」のときに多く見られます。
あたりさわりのない評価で波風が立たないようにしたいという気持ちが働きやすいのです。
評価への批判や反発を恐れたり、対象者(部下)への気遣いから、評価がついつい甘くなりがちな傾向のことを指します。
また、評価者に自信がない場合も寛大化傾向に陥りやすくなります。五段階評価(5.4.3.2.1)の中から、評価が「5」や「4」など標準レベル以上に集中するのは、部下に「嫌われたくない」「よく思われたい」という感情に支配されてしまうからです。
寛大化傾向の特徴としては、下位評価のものがいなくなり、結果的に評価に差がでないことにつながります。甘く評価することは簡単ですが、それはややもすると部下の成長を止めてしまう危険性もあることを肝に銘じておくべきでしょう。
辛すぎる評価という意味です。厳格化傾向とも呼びます。寛大化傾向の反対ですが、自分にかなり自信を持っている人や能力の高い人が、自分を基準にして評価する場合に起こりやすいといえます。
そのため、「対比誤差」の一種ともいわれています。スポーツの世界では“名選手必ずしも名監督ならず”という格言がありますが、かつて“名選手”だった新米マネジャーが陥りやすい心理的傾向のひとつです。
完璧主義者に多く見られ、対象者を追いつめたり、重箱の隅を突くようなあら探しをしてしまう傾向があります。結果的に、だれも上位評価ものがいなくなり、差がつかないことになってしまいます。
会議などでは、会議中まったく発言のなかった人が、終了間近になって、挙手したり、ひと言発言すると、その言動が周囲の頭に強く残ってしまい、少なからず影響を受けてしまいます。このように、最近の出来事が強く評価に影響する傾向を期末誤差といいます。
半年前より1ヶ月前、1ヶ月前より1週間前、1週間前より昨日と良いこと悪いことに関わらず、ついつい評価時期に近い時点の評価を重視しすぎてしまう傾向のことです。期末誤差にも、プラスに働く場合とマイナスに働く場合があります。
たとえば、11ヶ月間"鳴かず飛ばず"で受注がまったくとれず、期末近くになって大きな案件を受注できた場合、それまでの11ヶ月間の記憶は薄れてしまい「彼は営業成績が素晴らしい」と評価されることです。これはプラスに働く期末誤差です。マイナスに働く期末誤差とは、11ヶ月間営業成績が社内ナンバーワンでお客さまからも絶大な信用を得ていたにもかかわらず、期末近くになってクレームが発生したことによって、評価が著しく下がるようなケースです。
事実をしっかりと確認・分析せずに、推論を先行させ部下を評価してしまうことです。
たとえば、「金持ちのボンボンだから、きっと甘やかされて育てられているにちがいない」とか「遅刻癖のある人は絶対ルーズな性格だ」とか「営業実績のよい人は、押しが強い人だろう」とか「毎日日記をつけている人は几帳面」など、自己流の理屈で対象者の人格を決めつけ、評価してしまうことです。
「彼は知識が豊富なので、スキルも優れている」などは、一見正しいそうですが、よく考えてみるとそうではありません。
たとえば、ゴルフを語らせると、グリップがどうとか、スタンスがどうとか、プロ並みにうんちくを語るのが大好きな人でも、実際にクラブを振らせてみるとボールにかすりもしないなんて、よくある話です。論理の飛躍には注意が必要です。
「あの人と比べてどうか」と比較評価することです。絶対基準でなく、「誰か」を基準において、対象者を比較してしまうのです。そうすると、実際よりも過大あるいは、過少に評価してしまう危険性があります。
たとえば、話上手な人の後に面接をしてしまうと、話す力が通常レベルくらいの人でも、実際以上に悪い評価がつけられるのです。また、よくみられるのが、無意識に自分と対比して評価してしまうことです。
自分とまったく正反対の特性を持つ対象者に対して、たとえば、自分が几帳面だとすると、対象者が自分レベルに達していないと、極端に「おおざっぱだ、がさつな人だ」と偏った評価をしてしまうのです。基準を考課者自身に置き、経験や実績を積んだ上司と比べられれば部下の考課はどうしても不利となります。
また、上司の不得意な知識や技能を有する部下の評価が実際以上に高い評価となってしまうようなこともあります。対比誤差には、自分の得手は厳しく、不得手は甘くみてしまう恐さが潜んでいます。自分と似た点を持った受検者を高く評価しやすいのです。