リーダーの仕事は、人に仕事をしてもらうことにあります。その本質は、人の力を借りるということです。どんなに仕事のできる人であっても、組織で働く以上、自分ひとりで仕事をすすめることはできません。
ところが、プレーヤーとして仕事のできる人ほど、自分ひとりで何もかもできてしまうような錯覚に陥ります。部下には余計な考えを持たせぬよう、つねに正しい「こたえ」を用意し、的確な指示を出しているような、業務に精通したタイプにその傾向が見られます。
「自分は有能であり、部下のだれよりも仕事ができる」と信じて疑わないから、部下が頼りなく思えてくるようになります。「何でこんな簡単な仕事ができないのか」とか「何度、同じことをいわせるんだ」などと、いつも部下に腹を立てています。
部下も自分と同じペースで、仕事を進められると思い込んでいるため、指示した仕事が期限内にとどこおりなく、進めてもらわないと気が済まないし、許せないのです。そこには、教えてやっている、助けてやっているという押しつけの論理が先行しているのです。
ところが、現実には、一(いち)を聞いて十(じゅう)を知る理解力のある部下ばかりがいるとは限りません。こちらの考えを納得してくれる人ばかりでもないのです。上に立つ者が「力を借りる」という気持ちにならなければ、人を動かすことなどできないのです。そこには深い感謝の念が必要です。
「力を貸してくれてありがとう」「手伝ってくれてありがとう」と部下に対して手を合わせて拝むような気持ちになるまで昇華できるかどうかにかかっています。仕事とはさせるものではなく、してもらうものです。
いくら私が社長でも、気にくわないからといってクビにしたり、仕事を任せなかったりするわけにはいきません。そんなことをすると誰もついてきてくれなくなるからです。
人の上に立つということは、さまざまなタイプの人たちと向き合わなければなりません。100人いれば、100通りの考え方があります。性格はそれぞれ異なり、個性があります。これをひとつに束ねられるかは、リーダーの手腕によるところが大きいのです。
「下の者の意見などいちいち聞いていたらきりがない。そんなの無視しても、地位や権限があれば、号令ひとつで人を束ねられる」と思っているのなら大間違いであり、非常に危険な考え方です。人心掌握というものをまるでわかっていないということになります。
部下というのは、指示によって自由に動かせる「コマ」ではありません。現場や第一線で働く人の気持ちをないがしろにして、命令や強制で人を束ねることはできないからです。
「人を見て法を説け」とは、人に何かをしてもらうときには、その人の性格や現在の感情などをしっかり見極めてから、その人に適したふさわしい助言を行うべきだということです。
たとえ、同じ状況下で、同じチームのもと、目指すべき目標がまったく同じであったとしても、部下Aさんに対しては「考えるよりもまず行動しなさい」と指示する一方で、部下Bさんに対しては「行動よりもじっくり考えなさい」と諭すなど、相手に応じて指導方法を変えるのです。
心配性で何ごとに対しても慎重すぎるAさんには「まずは行動を」と背中を押し、そそっかしく慌てん坊のBさんには「まずは考えよ」と自重を促すのです。
「人を見て法を説く」には、相手を理解しようとする気持ちと臨機応変な対応力、そして何よりも人としての器(うつわ)が求められます。すなわち、清濁(せいだく)あわせ呑(の)む器がなければ、人の心をつかむことも、多くをまとめることもできはしないのです。
いかなる部下をも受け容れ、最大限に活かしきる器をもっているか、リーダーたるもの常に自問自答すべきでしょう。
部下のベクトルを合わせることができないのなら、ただちに自分の不徳を恥じ、深く反省すべきです。繰り返しますが、仕事を「させる」のではなく、仕事を「してもらう」ことこそリーダーの仕事です。
「してもらう」ためには、相手を枠にはめようとするのではなく、なるほどと本人が納得できるような働きかけを常に心掛けることが大切です。