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トップインタビュー【一問一答】震災から創業へ


-----創業の経緯を教えてください。


転機は1995年1月に起きた阪神大震災です。6,000人を越す命を一瞬にして奪ったあの恐ろしい事件は、私にとって生涯決して忘れることのできない出来事です。


トップインタビュー【一問一答】中村一八

-----そのとき何処にいましたか?


中小企業診断士という資格のインターン(三次実習)の真っ最中で、その日は報告書作成のため、朝から自宅で机に向かっていました。突然どかんと耳をつんざく轟音がしたかと思うと、地底から突き上げられるような強烈な衝撃ですべての電灯が一瞬で消えました。一瞬、原爆でも落ちたのかと、すぐには事態を理解できませんでした。いまでも鮮明に覚えているのは、確か50kgはあった机上の21インチCRTディスプレイがスローモーションのようにふぅーっと宙に浮いたことです。その光景に畏怖(いふ)を感じ、目を丸くし立ちすくみました。その2、3秒後激しい横揺れが襲ってきて、上下左右に大揺れがエスカレートし天井や壁がボロボロくずれ落ちはじめてからは、条件反射で机の下に潜り込みました。


-----本当にすさまじい揺れでした‥。


揺れている間、「あぁこうやって死ぬのか。無念だ、死にたくない…」と深い悲しみと悔しさが込み上げてきました。わずか20数秒間の出来事でしたが、私にとってそれはとてつもなく長く感じ、心の底から「生きたい!」と神に祈るような心境でした。揺れが完全におさまったとき、それまで張りつめていた緊張が一気に解けたせいか、体全身の力が抜けて震えが止まりませんでした。その後余震が絶え間なく続きましたが、ちょっと揺れると、いまでも「次の瞬間どかんが来る」と体が敏感に反応し身構えてしまいます。


-----被害はどうでしたか?


木造の自宅は瞬く間に全壊し、見るも無惨な形になりましたが、幸いにも九死に一生を得たときは、助かったと心から喜びました。「命拾いをした、生き延びた」という存命の感慨です。その後しばらく、全壊した家に住んでいましたが、真冬でしたので、毛布にくるまって寝ても、さすがにすきま風は体にこたえましたね。


-----生活面では、何がたいへんでしたか?


一番きつかったのは、水道の蛇口から水がでないということでした。本当に困りました。電気より、ガスより、水でした。当たり前のことですが、水がないとお風呂も入れないし、用を足すのも困る。食器すら洗えない。「飲む」という以外で、こんなにも水がないと生活に支障をきたすのかと思い知らされ、水の大切さ、ありがたさが、身にしみました。


-----街の様子は?


瓦礫(がれき)の山だらけの神戸の街並みは、まるで終戦直後の焼け野原の日本のような印象でした。建物の多くは無惨にも崩れ落ち、震災の犠牲の大きさを身にしみて感じました。ところが驚いたのは、家が燃えて住むところを失い、悲しみの混乱の中で、とても他人のことなど考える余裕のないはずの人々が、瓦礫で埋もれた人を、一生懸命助けている人たちの存在です。自分のことよりも、他の人たちのことを優先に考える人の心の広さや懐の深さに触れ、強烈な感銘を受けました。と同時に、何かしなくてはと思ってはいても、行動に移せない自分を見つけ無性に恥ずかしくなりました。


-----震災体験が今後の生き方に大きく影響されたと…。


震災を境に、人生観が180度変わりました。それまで、身近な人間が死ぬということを経験したことがなかったため、価値観が一転するほどの大きな衝撃でした。気付いたのは、誰でもいつか死ぬということです。それは明日かもしれないし、5年後かもしれない。これだけは自分で予測できないことです。人の運命だけはわからない。自分の寿命もわからない。でも、確実に死ぬ。だから、真剣に生き方を考えはじめたのです。


-----「生きる」ことについて深く考えはじめたと…。


直後は、茫然自失(ぼうぜんじしつ)で頭が真っ白の状態でしたが、しばらくするとなぜか不思議と自分が生かされているように思えてきました。周囲には命を落とした人がたくさんいるのに、なぜ自分だけ助かったのか。私が死ななかったことは、何らかの意味があるのではないか。何のために生まれてきたのか。ひょっとすると、自分には何か成さねばならない「使命」があるのではないか。大げさかもしれませんが、本気でそのように思えてきたから不思議です。「死」と直面することで、いま生きていることの幸せや大切さを痛感しました。生きている喜びと感謝の念が涌いてきたら急に、自分に残された時間というものが気になりはじめました。


-----残された時間ですか?


ええ。生まれてから死ぬまでの時間軸のなかで、「いったい自分は死ぬまでに何をしたいのか」という疑問が膨らんできました。人生は短く、瞬く間に時は過ぎ去ります。いつかどうせ死ぬなら、一分一秒もおろそかにしちゃいけない。今日という日が「最後の日」となってもいいように、いまを一生懸命生きたい。自分が本当にやりたいことに今後の人生をかけてみたい。一瞬は死を覚悟した身です。たった一度の人生です。「後であれがやりたかった」と人生悔いが残ることだけは絶対にイヤだと思ったんです。


-----ところで、コンサルタントの道に進もうとした動機は?


きっかけは、学生時代のアルバイトです。レゲエが流れるカウンター中心の小さなバーで朝5時まで働いていました。幸運だったのは、そこで事業に携わる多くの経営者と知り合えたことです。普段は獅子奮迅の活躍をみせる経営者も、杯を重ねて酔いがまわってくると、形相が柔和になってくるのです。商売の右も左もわからない若造だった私に、カウンター越しに思わず弱音をもらしたり、本音を語ったりしてくれました。

トップインタビュー【一問一答】中村一八

-----経営者の弱音や本音って、たとえばどのようなお話ですか?


資金繰りに苦しんでいたり、人の育て方で頭を悩ましていたり、重要な決断に迷っていたり…、です。「オレは決算書が読めなくて苦労している。だからあんちゃん。簿記(ぼき)だけはしっかり勉強しときな」とよくアドバイスを受けました。でも当時は、簿記って何のことだかちんぷんかんぷんでした(笑)。こうして耳を傾けるうちに、かける言葉が見つからない自分に歯がゆさを感じる一方で、少しでも役立ちたいという気持ちが私の中で徐々に芽生え、経営コンサルティングの道に進みたいと考えるようになりました。


-----それで、将来はコンサルタントになりたいと…。


ただ、自分が経営者になってどうこうするという気持ちよりも、ご縁があった方を励まし、勇気づけたいということのほうが、私の関心を引くようになっていました。


-----バーテンダーの仕事をするうちに本当にやりたい仕事が見つかったのですね 。


ええ。この貴重な体験によって、将来の進路が決定づけられたような気がします。大学を卒業する頃には、経営コンサルタントになることになんの躊躇もありませんでしたから…。コンサルタントこそ自分の道であることを確信し、元気と勇気を与えられるコンサルティングのプロになることを意識していました。


-----独立してコンサルティング会社を設立する経緯は…。


建物が崩壊し、呆然と立ち尽くす飲食店のオーナーを目の当たりにし、自分の存在意義を肌身で感じました。自分の職業に強い責任を感じたのです。困難にめげない人々の明るい笑顔とたくましさが私の背中を力強く押してくれ、26歳のときコンサルティング会社ニューエアを設立しました。


-----ご両親の反応はいかがでしたか?


母は何もいいませんでしたが、父は「ほんとうに食っていけるのか」と心配していました。コンサルタントという職業が将来の日本に根づくのか、本質的な疑問があったようです。しかし、私は医師がそうであるように、どんな時代になってもコンサルタントが必要なのは明らかだと思っていました。世界を見ていると、将来ますます日本でコンサルタントが必要になる時代がくると確信していました。


-----震災で住むところを失っての会社設立。不安はありませんでしたか?


たしかに、逆風下の船出でした。顧客も一人もおらず、足を棒にした営業ではまったくといっていいほど結果を出せませんでした。反応は厳しく、最初の3ヶ月は鳴かず飛ばず状態。正直、飯が食えるのか不安になりました。お客さまに「コンサルティングなんて、ただでもいらん」と相手にされなかったときは、自分の存在そのものを否定された気がして、落ち込みました。そんなとき、知人から運送会社のご年配の社長を紹介されたのです。経営面での協力要請です。うれしくて、天にも昇るような気持ちでした。毎日本を読み、人に会い、いっぱしの専門家気取りで、仕入れたばかりのコンサルティングの知識や理論を経営者相手に振りかざし、時を忘れるくらい懸命に働きました。


トップインタビュー【一問一答】中村一八

-----当時、何か意識されていましたか?


顧客の立場に立って、顧客を喜ばせることを意識しました。と同時に、臆することなく何事も自分の意見をはっきりと言っていました。熱意だけが頼りでしたが、そのうち「ボクの知り合いで中村さんに会わせたい人がいるんだけれど…」と声をかけてくださるようになりました。特に年配の人に可愛がられ、私を評価してくださる人がいました。たとえば、街で靴磨きをしてもらっていると、偶然有名な経営者が隣に座ったりしていて声をかけられ、「君、なかなかおもしろいね」とその場で打ち解け仲良くなったりしました。


-----声をかけられるのですか?


そうですね。道で歩いていても、喫茶店でお茶を飲んでいても、電車で本を読んでいても、セミナーを受講していても、なぜか突然見知らぬ人から話しかけられます(笑)。そういう意味では、何とも不思議なご縁や出会いを感じていますね。人に恵まれ助けられ、その後、紹介、紹介であっという間にクライアントが増えていきました。多くの人たちに支えられて、いまの自分があることを実感しています。感謝してもしきれないくらい、ありがたいことです。初心忘れるべからず。いつまでも創業の志を崩さず、人の心に残るコンサルティングサービスを提供していきたいですね。


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