ホーム<コラム<中村一八のスペシャル対談<第1回/羽生善治さん<定跡破りの本当の意味
【中村】ところで、経営者が経営能力を高める手順と、将棋が強くなる手順は非常によく似ている、というのが私の持論なんですが。
【羽生】それは、どういう意味でしょうか?
【中村】実戦あるのみといって、将棋の初心者が、ただ単に対局数を増やしても上達しませんよね。回数を重ねれば、ある程度まで将棋は強くなるかもしれませんが、無手勝流ではアマ初段の壁を越えることはできない。将棋にかぎらず囲碁でもチェスでも、初心者にとっては、定跡を覚えることこそ上達の近道だと思っています。
【羽生】たしかにおっしゃる通りですね。将棋の場合は、強い人の棋譜を並べたり、定跡を覚えたりすることは、有力な勉強方法になります。初心者はまず真似てみることが大切です。
【中村】同じように、若葉マークの起業家が「プロの経営者」になるためには、「経営の定跡」を学ぶ必要があると思っているのです。
【羽生】経営の定跡ですか?
【中村】経営の定跡も、時代を超えて通用します。先ほど申し上げた、理念なき経営ではダメになる、なども定跡のひとつです。たとえ、今をときめく企業のトップであっても、その昔お手本となるべき先達(せんだつ)が必ず存在したはずなんです。そうした「先輩」のモノマネをしながら、段階的に成長していった後、自分なりの独自のスタイルを創り上げていく。「なぜそうするのか」最初はわからなくても、真似して覚えればいい。そういう意味で、経営者も経営能力を「向上」させたければ、定跡は絶対覚えなければならない必須のものというわけなんです。
【羽生】なるほど。そもそも将棋は、徳川幕府のはじまりと同じ頃に現在に至るルールが確立し、100年ほど前までは家元制度で伝承されていました。そうした意味では、茶道や華道と同じように伝統芸能という一面もあり、その中で脈々と受け継がれてきた本格的な手がある。それが、定跡といわれているものです。
【中村】定跡というのは、あらゆる無駄を省き最もうまくいく要領を長年にわたって積み上げてきたもの。つまり先人の知恵やノウハウの集大成ですからね。
【羽生】しかし一方で、将棋界でいえば、最先端の手法として現在流行っている手法は、そうした定跡から見ると邪道という場合も少なくない…。
【中村】さて、そこですね。定跡と同じような意味で使われる言葉に、茶道には茶道の、華道には華道の「型」、能楽や歌舞伎といった芸能にも踏み外せぬ「型」というものがあります。弟子がお師匠さんを追い越して、その道の第一人者になるためには、この「型」を破る必要があります。でも、ただ単に「型」すなわち定跡を破ればいいという話ではないですよね。ここで大事なのは、しっかりとその定跡を踏まえてから、「定跡を破れ」ということ。そしてその後、独自のスタイルをあみ出していけばいい。それがまた新定跡につながるわけです。要するに、3つの段階的なステップを「正しく」踏む必要があるということなんですね。真似をする段階と、それを破る段階。そして、自分なりの芸風を身につける段階。定跡という固定概念で縛られるのではなく、定跡を土台にして、創造していくことが非常に重要だということです。
【羽生】そうなんです。真似てみることは重要なんですが、そこでとどまってはダメなんですよね。「真似」から「理解する」レベルにならなくてはいけないんです。そこまでたどり着けば、先人の教えが「なんだ、そういう意味だったのか」とわかるようになるんですね。自分でも気をつけているのが、将棋とはこうあるべき、といった固定概念にとらわれないように心掛けています。定跡といっても、それは絶対的なものではないんです。くつがえされることも、よくありますから‥。
【中村】たとえば?
【羽生】従来の思考では考えられない奇想天外な発想から生まれたものが、最先端の手法として広まることも多くて。そして、そうした最先端のスタイルを創造した人は、必ずしも現在のトッププレーヤーではないんです。プロ棋士になりたての若い人や、中にはアマチュアの方が指した手が、プロの世界で流行になったというケースもありますから。
【中村】私の場合もそうですね。若い人の斬新なアイデアに、何度目を覚まされる思いをしたことか。ですから、社内外問わず、若い人の「生意気な意見」には積極的に耳を傾けるようにしているんです。部下が上司に進言するにはかなりの勇気がいる。その勇気を生み出す源は、その人の「こうあるべきだ」という正義感だと思うんです。その「こうあるべきだ」論には必ず一理あるんですね。若い人や素人の考えは、実は新鮮な驚きや発見を与えてくれることが多いのも事実です。
【羽生】僕は意識して、若い人たちの練習将棋をのぞきに行くようにしているんです。その中で「新しい一手」のひらめきを得ることもあるからなんですね。若い人たちは先入観が基本的にありませんから、僕たちが「やってはいけない」と思っていることをどんどんやってくる。そこで偶然生まれた手や、間違いだと思われる手が、最先端の手法のはじまりとなることもあります。ところが一方で、流行っているから最良の手法かといえば、必ずしもそうではない。たとえ流行っている手法であっても自分で善し悪しを検証し、判断するなど、自分の眼を極力信じるようにしようとは思っています。
【中村】大相撲の横綱が幕下の力士の稽古場へいく…。企業でいえば、見栄は捨て、社長が新人に教えを請うようなものですね。頭の下がる思いがします。本当の意味で「一流人」ほど、腰が低く、謙虚で素直な心を持っています。反対に、一流になりきれない人ほど、地位や年齢などの、立場にこだわるあまり、誰からも学ぶことができない。
【羽生】現場に直接出かけて、対局者と同じ時間を共有し、勝負を肌で感じながら考えることは大切なんです。将棋に対する新鮮な気持ちを失わないためにも、欠かせないことだと思っています。
【中村】ある分野で日本一、世界一になった人、ずば抜けて専門的能力の高い人は、自分の能力を過信しがちなものです。アマチュアと違って、つねに訓練を怠らないのがプロとするなら、つねに過信に陥らないよう弛まぬ努力を続けるのが「トッププロ」だと私は思っているんです。重要なのは、こうした思考が習慣化しているかどうかなんですね。