第49回 2015.1.27(火)
(ひらもと・きよし)広島県出身。メガネ21創業者。高校卒業後、広島最大手のメガネチェーンに入社。本店副店長、商品部長、電算室長などを務めたのち、社長交代劇で解雇される。その後、同チェーンの同僚たちとともにメガネ21を創業し、同チェーンをグループ売上84億円を超える企業に育て上げた。また、内部留保ゼロ、給与賞与すべて公開、社長任期制、ノルマなし、すべての経営情報の社員へ開示、社員からの直接金融、ウェブ上での全社員参加の経営会議など独自の経営手法を取り入れた。『会社にお金を残さない! 「ノルマなし!管理職なし!給料全公開!」の非常識な経営術』『丸見え経営 すべてを見える化すると効率が劇的に高まる!』など。
第50回 2015.2.25(水)
(さくらい・ひろし)1950年 生まれ。1973年 松山商科大学卒業後、西宮酒造に入社。1976年 退社後旭酒造に入社するも父で ある前社長と意見が合わず2年で退社。その後、桜井商事(石材卸)を創業し、18年にわたって経営。1984年 父の死去とともに旭酒造の社長就任、 現在に至る。
第51回 2015.3.18(水)
(さとう・はじめ)1951年静岡県生まれ。75年学習院大学経済学部卒業後、実父・誠一氏が裸一貫で創業したスター精密に入社。典型的な中小企業だった同社を、父と共に東証一部上場の世界的メーカーに育て上げる。現在、父から受け継いだ経営ノウハウを、佐藤式先読み経営としてさらに進化させ実践。その結果、多くの企業が不況にあえぐ中、抜群の収益率と高い健全性を維持している。また、社長業の激務のかたわら、地元静岡の若手経営者からなる「佐藤塾」をはじめ、「長期経営計画作成ゼミ」「経営数字マスターゼミ」を主宰。著書に『社長が絶対に守るべき経営の定石50』『先読み経営』『社長としての人件費計画の立て方』(ともに日本経営合理化協会刊)などがある。
第52回 2015.4.16(木)
(こだま・のどか)1948年、鹿児島県生まれ。'72年、大阪府立大学経済学部を卒業し、同年、グンゼへ入社。'89年、アメリカELTECHへ出向、'06年に取締役に就任し、経営戦略部長、人財開発部長に。'08年からは常務兼常務執行役員を務め、'12年6月から現職。社員のやる気を引き出し、その成長を信じること、自主性を重んじる精神を大事にしている。大の読書家で、休日は本を読んだり、グンゼスポーツクラブで汗を流す。また社員向けホームページでは、「社長の本棚」と題し、書籍の紹介や、私小説を連載している。
第53回 2016.5.25(木)
(こま・やすひろ)1977年生まれ。京都大学大学院経営管理教育部(MBA)修了。大学生の時代に人材派遣業を手がけ2000年に株式会社コマエンタープライズを設立。年商20億円の企業に育てあげた。京大大学院に入学後は、電気自動車事業に関心をもち、2010年、グリーンロードモータース株式会社を創業(本社=京都市左京区)。2013年春、日本初のピュア・スポーツカー(通常車両の進化モデルではなく、走行性能を追求した狭義のスポーツカー)とされるトミーカイラZZを電気自動車として復活させ注目を集める。
第54回 2015.6.19(金)
(にしやま・ひろし)1947年東京生まれ。工学院大学建築学科卒業。建築会社に入社するも2ヶ月ほどで退社。同年、大手スーパーチェーン長崎屋に入社。ショッピングセンターの開発、フランチャイズチェーンの開発に携わる。77年に独立し、株式会社商業建築計画研究所(現・株式会社商業建設)を設立、数多くの商業施設の建築設計を手掛ける。2004年、商業施設のクライアントだったダイシン百貨店の、当時の幹部に請われて取締役に就任。06年代表取締役に就任。借金100億円の経営危機にあった同社を再建し、7年連続黒字経営・年間来店客数が400万人の繁盛小売業へとV字回復に導く。
第55回 2015.7.15(水)
(すずき・きよゆき)1952年愛知県生まれ。京都大学大学院工学研究科化学工学専攻博士課程2年修了。78年、東洋エンジニアリング株式会社に入社。86年に株式会社インテリジェントテクノロジーに入社後、87年には米国カーネギーグループ社主催の知識工学エンジニア養成プログラム(KECP)を修了。89年同社の研究開発部長を経て、常務取締役に就任。97年には株式会社アドバンスト・メディアを設立し、代表取締役社長に就任。07年優れた起業家を称える国際的な起業家表彰制度「WEOY 2007」の日本代表として出場。2010年 同社代表取締役会長兼社長・代表執行役員に就任。
第56回 2015.8.6(木)
(もりさき・きよと)昭和27年生まれ。長田区在住。早稲田大学法学部卒業。昭和61年近畿タクシー(株)に入社し、平成8年から同社代表取締役に就任。全国初の天然ガスタクシーを運行するなど、環境・ユニバーサルデザインに配慮した取り組みに注力。また、地域活性化を図るため、お花見タクシー・スイーツタクシーなど、数々のユニークなタクシーを運行。長田区のユニバーサルデザイン研究会会長、神戸長田コンベンション協議会会長などを務める。
第57回 2015.9.29(火)
(ほそだ・やすべえ)昭和2年日本橋1丁目に生まれ。慶應義塾大学卒業後、1950年に榮太樓總本鋪に入社。72年に代表取締役社長に就任。95年に会長、00年から現職。名橋「日本橋」保存会副会長、日本橋倶楽部理事長、東都のれん会会長、茶道 宗遍流時習軒十一世家元。東商名誉議員、全国観光土産品連盟会長。和菓子業界や地元日本橋に関わる団体役員などを務め地域の発展に尽力する。著書に『江戸っ子菓子屋のおつまみ噺』(慶應義塾大学出版会刊)がある。藍綬褒章、勲四等瑞宝章受章。
第58回 2015.10.16(金)
(よしなが・やすゆき)東京都生まれ。1977年成蹊大経済学部卒業後、同年富士重工業入社。最初の配属は三鷹製作所で部品供給業務を担当した。販売会社でセールスに従事した後、国内営業部門に。99年国内営業本部営業企画部長などを経て03年に戦略本部副本部長兼経営企画部長に就任。05年執行役員。06年からは執行役員戦略本部長としてトヨタとの提携案件を取りまとめた。07年常務執行役員スバル国内営業本部長、09年取締役専務執行役員同本部長。11年6月現職に就任森会長の吉永評は「大局観のある戦略を打ち出し、結果重視の実行力を備える」。若いころの読書から見出した「莫妄想」(まくもうそう=妄想することなかれ)を「飾らず常に平常心でいること」と解釈し、「生き方の背骨」としている。
第59回 2015.11.19(木)
(きはら・さだお)1947年和歌山県生まれ。68年にフジ医療器入社、マッサージチェアの存在が全く知られていなかった時代に、マッサージチェアをトラックに積んで銭湯や温泉場での営業活動を通して、日本でのマッサージチェアの普及に貢献した。また、家庭へのマッサージチェア普及にも尽力すると共に、「日本発の健康機器」として海外でのマッサージチェア市場の創生に貢献する。常務取締役として商品統括本部に所属し商品作りに関わった際には、魅力的な新商品を立て続けに開発し、フィットネスの振動マシン「ダイエットトレーナー」では、日本中をブームの渦に巻き込んだ。現在も、健康社会に貢献するビジネス活動を精力的に行っている。
第60回 2015.12.15(火)
(あらい・じゅん)1959年神奈川県生まれ。83年に早稲田大学大学院理工学研究科 資源及金属工学専攻修了。シェル石油入社(現 昭和シェル石油)人事部(海外勤務)へ。91年にはスタンフォード大学大学院工学研究科 修士課程修了 石油開発事業担当付に。この年から昭和シェル石油開発株式会社に出向。02年に経営情報室長。05年に執行役員経理部長。08年には代表取締役社長代行から代表取締役社長に就任。退任後14年より昭和四日市石油の社長を務める。
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